まさか自分がバツイチになるなんて。

欠陥人間すぎて奥さんに愛想つかされ離婚した。

死にたくなったら遺書を書いてみよう

今日もネガティブです。

何となくスマホでネットを見ていたら、「死にたくなったから遺書を書いてみた」みたいなことが書いてあるサイトへたどり着きました。書いた後見返すと、馬鹿馬鹿しくなったというのです。

 

そこで、僕も書いてみることにしました。書いたのは1週間ほど前です。

ちなみに、今の気持ちは1週間前と変わりはないです。

構成は、①理由 ②家族への言葉 ③友人、同僚への言葉 ④元奥さんへの謝罪 

⑤所有する資産について の5つです。

 

まず、①の理由ですが、大きく分けて離婚とこの先に希望がないことの2つです。

離婚したこと

離婚したことで、元奥さんの人生を狂わせ、その家族に多大な迷惑をかけてしまった。自分と出会わなければ彼女は今頃ほかの人と幸せに暮らせていたはず。また、たったの3か月で離婚を決意させるほどの欠陥が自分にはある。それらの事実に耐えられない。毎日が後悔ばかりで、眠れず、ひどい時には文字すら読めなくなる。この先もこれを背負いながら生きていく勇気も資格もない。

といった内容が書いてあります。

 

この先に希望がないこと

自分の人生のこの先が容易に想像できてしまい、その予測される将来に対して何の価値を見出せないとあります。中2病っぽいですね。続けます。

もう会計士試験の勉強を継続する意味も精神力もなく、このまま今の職場で一生を終えることになると思う。また、自分には人格的に問題があるため再婚もできないだろう。そうすれば、自分は独身のままいつかは奥さんが再婚し、子供が生まれたという話を耳にする時が来る。そのことに耐えられる気がしない。目標がなくなり、また彼女が再婚したという事実を身近で感じながら一生を終えるくらいなら、まだ苦しみが浅いうちに死んでしまったほうが賢いと感じる。といったことが書かれています。

ちょっと自分勝手かなと思いますが、自分一人ですることですし、理由が自分勝手でも何も問題ないでしょう。

 

半年後にって話は?って感じですけど、我慢できないなら仕方がないですね。

 

②家族への言葉ですが、かなり短いです。

自分で決めたことだから、この結果に納得してほしい。

周りには、長期間に渡り睡眠時間を削って勉強したことによる心不全が死因と言っておいてほしいとも書いてあります。

これだけしか書いてないです 笑

 

③友人、同僚への言葉ですが、これも短いです。

今回の件で、職場の人や友人にはかなり助けられた。いろいろ話を聞いてもらい、相談にも乗ってもらった。それにはとても助けられたし、感謝してもしきれない。それにもかかわらず、自ら命を絶つ選択をしたことを申し訳なく思う。

とだけあります。

 

④元奥さんへの言葉ですが、これは結構長いです。離婚したのに気持ち悪いですね。

前提として、自己満足で言葉を残してるだけだから、彼女に死んだことは伝えないでほしいし、この言葉を伝える必要はないと書いてます。

内容は、ちゃんと幸せにしてあげられなくて申し訳なかった、ちゃんと愛してあげられなくて、申し訳なかったという謝罪から始まり、彼女の良いところを書き、そんな彼女なら必ずいいパートナーが見つかり、幸せになれるといったことが書いてあります。あとは、勉強しかしてこなかった人生だったけど、短い期間でも一緒に居られて幸せだった、大切な時間を自分と過ごしてくれてありがとう、という感謝の言葉も書いてあります。

正直、こんなの見せられたら彼女もいい迷惑でしょうね。なので、この遺書は絶対に彼女には渡さないでほしいですね、ないでしょうけど。

 

⑤の所有する資産については省きます。

 

見返すと馬鹿馬鹿しくなるということで書いてみましたが、特にそういった感情はわいてきませんでした。おそらく馬鹿馬鹿しく感じるのは、死にたいという気持ちを克服してから読むとってことでしょうね。今の自分は、死にたいという気持ちを克服できていませんし、そのつもりもないので馬鹿馬鹿しいと感じることもないでしょう。

 

ブログでこんなこと書いてどうするのって思いますけど、遺書を書いてみるのもなかなか面白いと思うので、載せてみました。

実際にこの遺書を残すかどうかは微妙なところです。まあ、残すとして構成は一緒でしょうし、理由についてもここから大きく変わることはないでしょうけど、いろいろな人へ残す言葉というのは実際にその時になるまでわからないですね。

 

本音のところでは、死ななくて済むようないいことが今後起きればいいなあという気持ちもあります。この苦しさを超えるようないい出来事って何があるんでしょうね。会計士試験合格とか新しいパートナーあたりでしょうか。

でも、これらが実現できたからと言って、死にたいと思う理由が全てなくなるわけじゃないですしね。まあ、厳しいかなあって感じです。

 

今日はこんなところです。

 

 

 

 

メンタルクリニックへ行ってきました。

こんばんは。今回も終始ネガティブです。

先日、初めてのメンタルクリニックへ行ってきました。

個室に通され、担当の医師と話をしました。すでに、職場の臨床心理士から初診を受けていたため、内容の確認といった感じです。内容の確認後、「投薬治療は嫌ですか?」との確認がありました。もちろん、「いやです!!」と返事をしました。

 

そこからは、投薬治療をしないと倒れてしまうから、とりあえずは落ち着くまでは飲んだほうがいいという説得をひたすら受けました。そして、お薬を出されました。

また、「経緯をすべて読ませてもらったが、相手側から言われたことをすべて真に受ける必要はない。運が悪かったと思いましょう。」、「いったん会計士の勉強はやめて、治療に専念しましょう。試験勉強はいつでもできます。」、「経緯を見ると、大変な3か月間だったでしょう。ひとまず離れられてよかったと思いましょう。」といったことを言われました。

 

しかし、試験勉強も離婚の一因なのに、離婚して勉強やめるとなると、それなら離婚しないほうがよかったじゃないかとも考えてしまいます。まあ、実際のところ今はほとんどできてないんですけどね。

 

また、担当した医師から落ち着くまではカウンセリングを入れていくと言われ、来週もクリニックへいくこととなりました。ちなみに出された薬は、常用の睡眠薬精神安定剤です。精神安定剤については依存性があるため、本当にひどい時だけ使用してくださいとのことでした。いや、依存性あるなら使わないでしょって感じです。そもそもそこまでして生きようとは思えない状態ですね。

 

最近は、気分の浮き沈みが激しいのもありますが、「もうどうでもいいや」という気持ちも生まれつつあります。この「どうでもいいや」というのは、「半年後には死のうと思ってるわけだから、何をしても無駄でしょう。何もしたくない。なんでもいいや」って感じです。まさに無気力。気分を少しでも紛らすために、ドライブをしたりするのですがドライブ中も「全損事故の時みたいに真横から車突っ込んでこないかな」とか考える始末です。不健康な行動も怖くないです。

 

ただ、この「どうでもいいや」という気持ち、意外といい側面もあります。それは、髪を切りに行って、失敗しても「まあ、死ぬし、いいっしょ」ってなり、気にならなくなりますし、周りにどう思われても関係ないので服装に気を使う必要もなくなりました。職場の評価ももはや気にならないので、仕事が終わってれば、当日でも半休とか取って家に帰っちゃえます。とにかくあらゆることに気を遣うことがなくなるので、楽です。時にむなしくもなりますが。

 

ドライブ以外にも気を紛らすためにマッチングアプリもやってみましたが、バツイチをカミングアウトして拒絶されても「あっそ」くらいにしか思わなくなりました。以前やっていたときは、うまくいかないとひどくショックを受けていたものですが。

 

全てのことに対して、「どうでもいいや」という気持ちで取り組み、どのような結果が出ても「あっそ」としか思わないので、楽と言えば楽です。死の時期を決めて生きると、逆に生きやすくなるなと感じました、終わりが見えてますので。寿命宣告されて、死ぬ覚悟ができた人も同じような感じなのでしょうか。

それでも、ほとんど常に元奥さんのことを思い出し、考えてしまい、苦しくなります。この苦しさは、皆さんが想像する数倍苦しいと思います。これだけはどうしても、「あっそ」であったり「どうでもいいや」と思うことができないです。むしろ、これがあるから「もうどうでもいい」と思うわけです。ほかの点ではもう何も気にすることがないので楽なのですが、この一点だけで僕に「死にたい」と思わせるわけです。「もう嫌だ。楽になりたい。」って感じです。

 

ところで、「髪型失敗したんだな、どんな髪型だろう」と思った方も10%くらいはいたと思います。パーマを思いっきり強く当てたら、ぐるぐるになってしまい、おばちゃんヘアーになってしまいました。普通だったら修正してもらうレベルですが、ある意味「最強の人」状態なのでそのままおばちゃんのまま帰ってきました。

 

ちなみに、今は午前3時です。目が覚めたので今ブログを更新しています。薬を飲んでないからでしょう。だいたい、1時あたりに布団に入り、3時~4時くらいに目が覚めます。1時に寝るのは、寝るのが怖いからです。目が覚めるのは、夢に出てくるからです。投薬治療をしないと倒れてしまうと言われるのも確かに納得ですね。でも、これで倒れてポックリいけたら儲けもんって感じですね。ラッキー!って。

 

最近思うのですが、人間って意外と丈夫だなってことです。僕はこんな生活をすでに1か月以上しているわけですが、医師のいうように倒れる気配などありません。心はすでに倒れて、完全に折れてますけどね。心は脆くても体は丈夫です。逆のほうが楽そうなんですけどねえ。煉獄さんとか心がかなり丈夫そうですよね、うらやましい限りです。鬼滅の刃はあまり見ていないので完全に想像ですけど。

 

今日はこんなところです。

過去記事もそうですが、後悔してからあれこれ考え修正したりしています。申し訳ありません。たぶん今回のも公開後に修正するかと思います。

 

 

人間限界はあるって話。

今日は人間限界があるって話です。なんかどこかで見たようなセリフですけど、最近ほんとにそう思います。

 

親が自殺したり、新車で購入した車で事故にあって全損になったり、結婚したかと思えば離婚したりとここ5年くらいで不幸がぎゅっと詰まったような感じです。

思い返せば就職もうまくいきませんでしたし(これは自分の能力・努力不足なところもあると思いますが)、なんか今までの人生何もいいことがなかったなあと思います。(元奥さんの結婚できたことは自分にとっては最高の出来事ですが、結末は離婚ということでトータルで見ればマイナスな出来事としています。)

 

特に親が死んでしまってからずっとそのことを吹っ切ることができず、5年ほど親を夢に見てつらい思いをして、それでもきっといいことがあると信じて生きてきました。そして、結婚を機にやっと少し気持ちが晴れたところがありました。やっと幸せになっていいと思ったところですが、離婚をしてしまい、さらに深い傷になった感じです。

 

まあ、離婚は僕の性格的なところが原因なので自業自得ですが、それでもここまで立て続けに不幸が起こると「もういいかな」という気持ちになります。

後悔ばかりの毎日ですが、これもあとどれくらい耐えればいいのか、考えるだけで嫌になります。

 

そろそろ限界かなあ、もうそろそろよくない?って感じです。

不幸があった分いいこともあるという話をどこかで聞いたりしたこともありますが、今のところ受けた不幸に見合った幸せを感じたことはないです。

まあ、結婚という幸せと離婚という不幸が等価だと言われればそうかもしれませんが、結婚生活をひとまとめで見たら不幸です。

 

ここまで短期間に不幸が続くとこの先も嫌なことしかないんだろうなあって思っちゃいます。親の死は誰しもが経験することですが、死別や離別など自分の心を抉るようなつらい出来事が短期間に続くと限界が来ます。

 

みんな少なからずいろいろとつらい思いをしていると思います。僕もおそらくみんなが経験しているようなつらい経験を大なり小なり繰り返しているわけですが、それでもどうも自分だけ大きな不幸が短期間で続きすぎてる気がします。

 

暗いトンネルをやっと抜けたと思ったらまたすぐ次の暗いトンネルに入るって想像以上につらいです。数年かけて今回の離婚から立ち直ったとして、またすぐ次の不幸が来て耐えることになるんでしょう、きっと。

それならもういっそ終わりにしたいって思ってしまいます。今ならこれ以上苦しむことはないわけですから。何のために生きているのかわからないなって状態です。

 

もちろん世界中を見渡せば僕よりはるかに不幸な人は大勢いることでしょう。僕が経験していることはよくあることと言われればまあそうかもしれません。結婚しても3割くらいは離婚するみたいですし。でも、人それぞれ許容できるレベルというのは違うと思います。短期間で起きた親の死や離婚、その他小さな不幸を許容できる心のキャパシティが僕にはなかったようです。

 

これから僕はメンタルクリニックへ通院することになるわけですが、なんかそこまでして生きていく価値のある人生か聞かれると「うん」とは言えない自分がいます。1分後に「何かしらの要因であなたは死にます。」と言われてもすんなりと受け入れられそうな感じです。

まあ、実際にそうなったらめちゃくちゃ抵抗するかもしれませんが。デスノートの月くんみたいに。気持ちとしてはってことです。

ただ、今まで漠然と考えていた死が、日を追うごとに自分の中ではっきりしてきました。そのしたほうが気持ち的に楽だろうなという感じですかね。

 

以上です。

今日は、人間限界があるっていう話でした。

 

 

僕という人間の自己紹介②

今回は高校入学~公認会計士試験を目指すまでの自己紹介をしていこうと思います。

 

高校入学~卒業

前々回の記事でも書いたように、僕は第一志望の高校に落ち、何の役にも立たないプライドを引っ提げて第二志望の高校へ入学します。そのおかげで、全然友達ができず、暗い3年間を送りました。まあ、ドラゴン桜2でいうところの藤井君みたいなもんです。これから僕を思い浮かべるときは、藤井君(鈴鹿央士)でお願いします。僕は、鈴鹿央士です。

 

そんな僕ですが、高校1年生から太ってました。

それが何か学生生活に影響してくるわけではなかったのですが、ただモテなかっただけです。ちなみに、人一倍女の子は好きでした。女の子が隣を通るだけでドキドキしてました。席替えで女子に囲まれた時なんて、「ここは天国か?」と思ってました。女子に囲まれたいがために親や担任の先生の反対を押し切って、文系に進みました。後悔してます。

 

成績ですが、それなりによかったです。学年で常に一桁順位にいるくらいには頑張ってました。モテない分、勉強できなきゃ生きてる意味ないですからね。そりゃ必死でした。ちなみに、3年間「何を考えてるかわからないがり勉。太っちょ。」という評価を女性のみなさんから頂いておりました。感謝です。

 

勉強ばかりをしており、変なプライドを持って周りを見下し、人間関係を築こうだとか、周りのために動こうとしなかったため、そのような評価になったのだと思います。これも今回の離婚の原因となった性格的なところですね。

今思い返しても嫌な奴ですね。最低ですね、藤井君。

 

部活動は、小学校のころから変わらずバスケ部でした。これは自慢ですが、レギュラーでした。まあ、弱小校だったので大した自慢にもなりませんが。

2年生のころ、かわいいマネージャーが入ってきたのですが、僕はその子を好きになりました。もう、その子のために学校へ行き、体育館を走り回っていました。かわいかったです。

卒業時、その子は同じ部活だった僕の友達と付き合いました。なんなんですかね、本当に。さらに非モテを拗らせました。

 

大学受験のほうですが、第一志望にしていた国立大学に見事に落ちました。非モテ浪人生爆誕です。

 

大学入学~卒業

浪人の末、希望する大学へ無事入学しました。僕はここですべてのやる気を失います。高校入学時からこの大学に入ることだけを目標に生きていたので、人生の目標が達成され無気力な4年間を過ごします。サークルや部活にも入らず、ただ家と大学を往復する日々です。本当にもったいないことをしたと思います。

大学時、頑張ったことといえば囲碁くらいです。ヒカルの碁を読んでいたら囲碁を無性にやりたくなり、囲碁部に通うようになりました。これがきっかけです。

通っているうちに、「入部して」と言われるようになりましたが、断り続けます。捻くれてますね!

 

大学3年生から通い始めて、4年生の夏ごろには初段レベルの人と対等に打てるようになりました。大学生活で一番達成感を感じた出来事です。むなしいですね。

 

就職活動ですが、性格的に民間企業は無理だろうと思い、公務員を目指しました。

財務専門官と経済産業省を第一志望にしていましたが、どちらも官庁訪問の途中で落とされてしまいました。結局市役所しか受かりませんでしたが、ここでいつものくそみたいなプライドが発動します。市役所の内定を断ってしまいました。そして、結局民間企業へと1度就職することになります。

 

「1度」ということは、転職をしています。就職して数か月で、市役所へ就職したほうがマシだったと思うようになります。

 

前職~市役所入庁

前職の仕事内容ですが、地元の中小・零細企業を巡回して記帳指導と言われるものや小口融資のための財務諸表分析みたいなことをしたり、国の補助金をもらうための経営計画書みたいなものを作成したりしていました。こう書くとなんか難しそうな仕事をしているように見えますが(見えますよね?)、実際の仕事のほとんどは中小・零細企業の社長さんとおしゃべりをして帰るだけです。

「こんなことを続けていたら、ここから抜け出せなくなる。」と思い、市役所に戻ろうと思ったわけです。

 

ところで、前の職場に中小企業診断士の勉強をしている先輩がいました。なんとなく面白そうだな、と思い市役所への転職活動を行いながら僕も勉強することにしました。何を血迷ったのか、なんとTACへ通い始めます。

 

そして、中小企業診断士の勉強を続けながら市役所へ入庁します。

 

市役所入庁~公認会計試士験目指すまで

市役所入庁後ですが、僕はマッチングアプリを始めます。そこで僕は意外な事実を知ることになります。公務員は対してモテない。(職業としてという意味です。)

別にモテたくて転職したわけではないので別によかったのですが、公務員は安定していてモテるという理由で目指してる人がいるならやめたほうがいいです。昔と違い、住民のニーズが多様化する中で、公務員の仕事量は増えています(研修に行くとよく言われるやつです。僕は今の公務員しか知らないため、そうのように思ったことはありません)

仮にそうだとして、毎年の採用実績を見ても人員を増やしているわけではありませんし、仕事量に応じて給料が増えているわけでもありません。何より、業務が有能な人に集中し、仕事ができる人ほど損するような組織です。より分かりやすく言うと、無能な先輩より有能な後輩のほうが仕事量は多いにもかかわらず、給料は安いといった感じです。ちなみに僕は無能側の人間です。

無能でなければ働きながら資格試験の勉強なんてできません。働きながら試験勉強をする人は、よほど優秀な人間でない限り無能に徹したほうが良いと思います。受かってないですけど、働きながら勉強してみての体感です。

 

マッチングアプリの話に戻りますが、公務員はモテないといえど、それなりにマッチングはしますし、実際に会って食事なんかはできます。でもどうしてもお付き合いをするというところまで進めません。人数で言えば20人には少なくとも会っていると思います。そして、全員からフラれます。(20人に告白しているわけではありませんよ。)そして、僕はこう思うわけです。

「給料が低いからモテない。今よりも給料の高い仕事につけばモテるのでは?」

実際は、僕が不細工で、女性への気遣いができないからモテないだけなんですけどね。

 

そして、僕はどうやったらこの状況からより給料を上げることができるのかを考えます。まず考えたのは、中小企業診断士に合格し、独立することです。しかし、中小企業診断士の勉強をしながら僕はこう思っていました。

「合格したとしても診断士に独占業務はない。かといった試験内容は広く浅くで、試験の知識がそのままお金に繋がるとは思えない」

中小企業診断士の資格を持って食っていこうとすると、資格というよりも本人のコンサルとしての実務経験や営業力が重要な気がします。あくまで診断士の資格は実績を補強するための飾りみたいなものだと思っています。)

要は、一発逆転の資格とはなり得ないと考えたわけです。

すぐに診断士のテキストは捨てました。

じゃあ、どうするか。ほかの資格試験に手を出すか、大手の民間企業に転職するか。でも、大手企業への転職なんて現実的ではないです。残された道は、独占業務をもつ資格を取得することだけです。

(実際にはもっと方法はあるのかもしれませんが、僕にはこの方法しか思いつきませんでした。)

そして、公認会計士試験を受験することを決めます。理由は、学生時代に簿記2級を取得していたからです。ただそれだけです。

 

ちなみに公認会計士試験の受験を決めてから、彼女は3人できました。そのうちの1人は元奥さんです。どうやら何か目標をもって取り組んでいるとそれなりにモテるようです。

こんな話を聞いたことがあります。相手が自分に対して信頼と尊敬の両方を感じると、相手をコントロールしやすくなる。つまり、モテる。

「信頼」はいかに相手の味方でいるか、「尊敬」は肩書や専門性、今回の場合は向上心でしょうか。(この話は本当に聞いたことがあるという程度です

今のところ公認会計士の勉強をしていることで得た成果と言えばこのくらいです。

 

まあ、ここまで振り返っていると、僕の生き方というのは結構行き当たりばったりなところがあったなあと思います。市役所に結局入るなら最初から入ればよかったわけです。さらに、そのあと公認会計士の勉強を始めるのであれば、前職にいたほうが時間はずっとたくさん作れたのではないかとも思います。就職する前に、転職する前によく考えず、行動した結果が今なんだなあと思います。

この、「行き当たりばったりでいつもその場しのぎ」というのも離婚原因の一つだっただろうと思います。

 

 

(余談)

僕は社会人になってから一人目の彼女ができた際に、短答式試験1週間前にフラれています。理由は、「やっぱり好きじゃなかった」でした。やっぱりってなんだよ。

試験日は伝えていましたし、試験直前で伝えてくるあたり、相当好きじゃなかったんだろうなと思います。試験は普通に落ちました。

 

ちなみに、元奥さんと付き合うときや婚約する前に、公認会計士試験のことを伝えていましたが、彼女は「私が支える」と言っていました。しかし、いざ結婚をすると「試験勉強をしているのが腹立つ。応援する気にならない」と毎日のように言われていました。これは仕方のないことだと思います。彼女もまさかこんなに勉強をするとは思っていなかったでしょうし。なにより、彼女の言葉に甘えて勉強ばかりしていた僕が一番悪いです。

みなさんも、パートナーを持ちながら会計士試験の勉強をするなら相当の覚悟を自分だけでなくパートナーも持てていないと関係は破綻してしまうと思います。気を付けてください。

 

ちなみに今日の記事をここまで読んだ方は気づくと思いますが、僕は会計士試験に落ち続けたベテラン受験生です。このままではただの会計に詳しいおじさんになってしまいそうです。

 

今日はこんなところです。結構長めに書いてしまいました。次回も時間があれば読んでもらえると嬉しいです。

 

メンタルクリニックへ行くことになったので、気持ちを吐き出す。

 

自己紹介②をしようと思いましたが、朝から気持ちがかなり沈んでいたので今日は自分の気持ちを吐き出していこうと思います。

定期的にこういう文章を書きます。そのたびに同じような内容になるかもしれません。

 

実は、昨日前もって予約していた職場のメンタル相談に行き、臨床心理士さんと1対1で話をしてきました。心理士さんは40代くらいで、少しきれいなお姉さんといった感じでした。指輪をしていたので既婚者のようです。少しタイプでした。

 

何から話せばよいかわからなかったので、入籍して3か月で離婚をすることになり、毎日がつらく何も手につかないし、眠れないし眠ってもすぐに目が覚める、文字を読んでいても頭に何も入ってこないといったことを伝えてみました。

すると、心理士さんから「どうしてこんなに短期間で離婚をしてしまうことになったんですか?」と聞かれて、離婚するまでにどんなことで揉めて、どんなことを言われて、逆に僕はどんなことを言ってしまったのかなど思いつく限りに伝えました。

心理士さんは、「うんうん。」と最後まで話を聞いた後に、同情や「こうなってしまったのには相手側家族に問題があった」、「奥さんはこういう人だからこの先も苦労したと思う。今離婚してよかった」など僕を励ますようなことを言ってくれました。

 

僕を励まそうといろいろな言葉をかけてくれてた多少は気持ちが楽になったのですが、彼女の悪く言うことだけはどうしても納得することができませんでした。

たったの3か月しか一緒に暮らしていませんでしたし、喧嘩ばかりでした。それでも一緒にテレビを見ながら笑ったり、じゃれて遊んだり、一緒に買い物にいったりと楽しい、幸せだと感じる時間もありました。何より、付き合ってから今までの彼女との大切な思い出があるため、「彼女側に原因があった。離婚してよかった。」という言葉だけで片付けることはできません。

 

でも、これは仕方のないことなのかなと思います。聞き手は、僕と彼女が過ごした時間を体験していないわけですし、事実に基づいて話すしかないわけですから。

それをわかっていても、「彼女は悪くない、自分に非があったためこうなってしまった」ということをどうしても伝えたく、彼女が僕にしてくれたことや僕が彼女にどんなことをしてきてしまったのかなどをさらにいろいろ話しました。この時の僕はもう気持ちがぐちゃぐちゃになっていて、泣きながら話していました。

思い返すとドン引きですね。なんか未練たらたらな気持ち悪い男全開!って感じです。

 

結局、心理士さんからは、「離婚については自分の中で時間をかけて消化していくしかない、ただ不眠が続くとうつ病になるし、試験勉強にも支障がでる。メンタルクリニックを今予約してあげるから睡眠薬だけでももらってうつ病になる前に対処しましょう」と言われました。人生はじめてのメンタルクリニックです。わくわくしますね!

 

最後に、「人生の先輩としていうけど、人生はこれからまだ長いです。客観的に見たら、今離婚したことで今後の人生が悪いほうへ行くことはない」ということを伝えられ、面談は終わりました。

正直なところ、今の自分にとってはあまりシックリとこない言葉です。これから人生が好転するとは思えないですし、この先の人生に対して何の希望も見出せないからです。

まあ、半年後をゴールにしてるわけですからその先にわざわざ希望を見出す必要もないわけですけどね。

 

今朝も4時ごろだったと思いますが、「結婚してから幸せだと思ったことがない」、「全く信用できないし、人間性に問題がある」と彼女から言われたこと、彼女の母親から「二度と顔を見たくない。幸せにすると誓ったのに、奥さん一人を幸せにすることもできないわけ?生き方を考えたら?」と言われたこと、彼女の父親やお姉さんから電話で「あなたには不信感しかない」と言われたことを思い出し、目が覚め眠れなくなりました。そして、そのあと必ず彼女と笑いながら過ごしていた楽しい思い出を思い出すのです。8月上旬に離婚してから毎日のようにそれらを繰り返すのですが、そのたびに突発的に死にたくなります。

 

半年間もこの地獄のような生活に耐えられたら大したもんだと自分で思います。これに耐えられるなら会計士試験合格なんて大したことないと思えます。(気持ちだけです。本当に簡単に受かるなんて思っていません。管理会計なんてマジでわかんないですし。連結CFは見ただけでテキスト閉じるレベルで嫌いです。在外連結CFは殺意を覚えます。海外に子会社持つな。一番得意なのは現金預金です!!!!)

ただ、こんな結果になったのはすべて僕のせいなので、生きている限りはずっと彼女や彼女の家族に言われたことを背負って生きていかなければいけないなと思っています。

 

半年後であればきっと新しいパートナーができて、彼女は幸せになっているはずです。僕はそれを見届けてから楽になろうと思います。それまではこの苦しみに耐えていこうと思います。

 

今日は以上にしておこうと思います。次こそは自己紹介②をやっていこうかなと思います。

僕という人間の自己紹介①

こんばんは。今日から2回に分けて僕について自己紹介をしていこうと思います。

せっかくブログを読んでくれるなら僕という人間について少しでも知ってほしいからです。

今日は幼少期から中学卒業までです。行きます。

 

幼稚園入学~小学校入学

 

幼稚園児のころ、僕はいつもいじめられていました。毎日幼稚園に行くのを嫌がり泣いていたそうです。それを見かねて両親は僕に空手を覚えさせました。ちなみにいじめっ子も同じ道場に通っていました。当然、そこでもいじめられていました。なぜ、両親はいじめられっ子のいる道場に入れたのか今でも謎です。

しかし、ある時転機が訪れました。いじめられっ子と組み手をする機会がやってきたのです。スカッとジャパンであれば、ここでいじめっ子をぼこぼこにして盛り上がる場面です。

まあ、ぼこぼこにしてやりました。このブログの主人公は僕なので当然です。ぼこぼこにされた話なんてかっこ悪いので載せるわけないです。それ以来、いじめられることはなくなりました。みなさんスカッとしましたね。

 

小学校入学~卒業

 

小学校へ入学しても空手は続けていました。小学校2年生くらいの時に、空手の県大会へ出場し、準優勝しています。この話を、僕は後生大切に抱えていて、初対面の人にはだいたい話しています。元奥さんにも当然話しています。何ならお義母さんにも写真付きで話をしました。もちろん「小学校の時に」なんて余計な部分は省いています。生きていくうえで、時には自らを誇張して強く、大きく見せることは必要なことですからね。まあ、写真付きだったので、普通にばれてたと思いますけど。

 

空手ではそれなりの成績を納めていましたが、肝心の学校生活ではまたいじめられていました。理由は太っていたからです。ことあるごとに「デブ」と呼ばれていました。

プールの時間は苦痛でしたね。僕の三段腹がここぞとばかりに主張してくるので。

実はうんこ漏らしたこともあるんですが、それはばれてないのでいじめの原因ではありません。バレてなくてよかったです。まあ、みんな一度や二度うんこ漏らしたことくらいあると思うのでバレても大した問題にはならなかったかもしれません。

 

しかし、小学校でも転機が2回訪れます。

まず一つ目の転機は小学校4年生のころにスイミングスクールへ通い始めたことです。スイミングスクールでクロール、平泳ぎ、と順調にレベルアップしていき、いよいよ背泳ぎです。この時のコーチは20代くらいの女性でした。

慣れないうちは、進行方向側にコーチが常に立っていて声をかけてくれるのですが、その時になんと!手がおっぱいに!!触れたのです!!!

万歳!!!!

色もピンク色に変えておきました。性への目覚めです。その日から僕はインターネットでエロ画像を漁りまくるエロガキへと進化したのです。

(スイミングスクールに通い始めたことで学校で測る25mタイムは卒業するまでの3年間クラスで常に1位でした。これも数少ない人生の自慢ポイントです。)

 

2つ目の転機は、小学校6年生の時にバスケ部へ入部したことです。

そのおかげで、ひと夏で劇的に痩せることができたのです。いじめからの解放です。

ちなみに、このころから「モテ」を意識し、美容院へ通い始めました。痩せたことで「モテ」への探求心が湧いてきたのだと思います。

 

指導方法も今じゃありえないようなスパルタ指導でした。シュート外したら蹴られますし、胸倉つかまれたり、バスケットボールが飛んでくるなんて普通です。練習も夏休みは7:00~13:00まで毎日やっていました。

僕はさぼり癖があるので、「成長痛」を理由に何度もさぼったことがあります。オスグッド病とか言ったりして無駄に大げさにしてみたりとか。もちろん、激詰めされましたね。人生はじめての「詰め」です。大人に嘘は通用しないと学びました。大人への階段を少し昇りました。

 

まあ、そのおかげか、夏休み始まるまではバッシュもないくらいの初心者しかいなかったのに、夏休みが終わるころには地元のミニバスと試合をしても普通に勝てるくらいになっていました。スラムダンクみたいですね。僕はスラムダンクだと、宮城リョータ三井寿が好きです。流川は嫌いです。

 

学業はどうかというと、まったくできませんでした。算数の割合計算すらできずに卒業したと思います。

恋愛は小学校2年生の時から卒業するまでずっと同じ子のことが好きでした。その子は卒業するときにバスケ部のキャプテンと付き合いました。

 

中学入学~卒業

中学入学時から僕は絶好調でした。なんとクラスの中心的な存在になれたのです。

僕はこの勢いに任せて、小学校6年生から探求し続けた「モテ」の成果を存分に発揮しようと思いました。その成果ですが、3戦全敗でした。中学1年、2年、3年それぞれ1回ずつです。

ちなみに3人とも僕の友達と付き合いました。小学校の時から続く呪いです。

この頃から非モテ精神が染みついてきたような気がします。

 

学業はというと、部活ばかりしていたため中学3年の夏まで方程式すら解けないくらいの落ちこぼれでした。部活を理由に勉強を全くしなかったのです。周りも部活で忙しいからと特に成績を責めることもありませんでした。

そこから一念発起して塾へ通い始め、地域で1番の進学校を受験できるくらいのレベルにはなりました。結果はもちろん不合格です。いままでさぼってたのに半年でそんなに上手くいくわけありません。当然の結果です。(ただ、少しだけ当時の自分を擁護すると、第一志望の高校当初の模試の合格率は3%だったのを最終的には80%くらいまでもっていってました。)

 

中学は恋愛も受験もすべて失敗した苦い思いでしかないです。

振り返ると、ここまでの僕は教えられたことに対してはある程度のパフォーマンスを発揮することはできていたみたいです。「言われたことはやれるけど・・・」ってタイプです。言われなければ何もしません。

ダイエットだって、部活になんとなく入ったらたまたま厳しい先生で痩せざるを得なかっただけですし、勉強なんて中学3年の夏までろくにしようとしてきませんでした。

塾に入って課題や定期的な模試などで勉強を強制されたからこそ、それなりの学力までもっていくことができたのだと思います。

 

面倒なことは基本的にはサボりたい典型的なダメ人間で、誰かに言われたり強制されたりしなければすることができないタイプです。自分から主体的に動けないタイプです。

 

この性格が結局最後まで治らず、離婚の一要因を担った気もします。

 

高校受験で、「地域で一番の高校を目指していた」という何の役にも立たない無駄なプライドが邪魔をして再び暗い3年間を送ることになった高校生活から社会人になり、公認会計士試験を目指すまでの話を次回はしていきます。

 

ここまでくだらない自分語りにつきあっていただきありがとうございました。次回も時間があればぜひ見てみてください。

 

 

 

 

 

はじめまして、欠陥人間です。

みなさんはじめまして。欠陥人間のたこです。

 

順調に結婚生活を営めているあなた、お付き合いしているパートナーとの結婚を控えているあなた、「自分たちは離婚なんてするわけない」

そう思っていませんか?僕も彼女にプロポーズした時、入籍をしたときはこの子のことを一生かけて幸せにすると誓っていましたし、自分たちが離婚するわけない。そう思っていました。何なら、離婚経験ある人たちに対して少し偏見すら持っていました。

しかし、わずか3か月で離婚に至りました。

 

まあ、離婚原因を一言でいうと「あまりに僕が結婚生活というものを甘く見ていた」に尽きると思います。結婚するということは、「パートナーのことを第一に考え、二人で協力して生きていくこと」だと僕は思っています。僕はこれができていませんでした。それ以外にも、夫としてというよりも人としてあまりにも未熟なところがあったのも理由のひとつでしょうが・・・。

元奥さんとの出会いや詳しい離婚理由についてはのちのち記事にしていこうかなと今のところは思ってます(もちろんフェイクをいれつつですよ)。

僕の失敗を参考にみなさんは離婚なんてしないようにしてください。どんなに喧嘩しても、憎いと思っても離婚してしまえばおしまいです。離婚してから後悔しても遅いです。パートナーのことを常に1番に考えて、幸せにしてあげてください。

ひげだんの新曲にもありましたよね。なんでしたっけ、「別れのときまで ひと時だって愛しそびれないように」みたいな。これは離別じゃなくて死別の歌でしたっけ。

でも、まあ伝えられるうちに、「愛している」と何度も伝えてあげてください。

僕は離婚して数か月経った今でも、もっと言葉にして伝えればよかったと後悔しています。もう伝えられないですもん。今伝えたら、僕ストーカーで捕まっちゃいますし。

 

ところで、ブログの紹介文でも触れましたが、今のところ僕は半年後に死ぬつもりです。

「どうせ死なないんだろ?」という声が今聞こえてきました。ええ、死なないかもしれません。そりゃそうでしょう。死ぬのは怖いですもん。いざ半年後になったら死ぬことにびびってブログ放置したまま独身生活を楽しんでるかもしれません。

 

でも、今のところは死ぬ予定です。理由を簡単に言えば、彼女を幸せにできなかったことへの後悔、人として欠陥のある自分への嫌悪感、彼女のいない今後の自分の人生に意味を見出せないからですね。

 

このブログでは、死ぬまでの半年間、なぜ離婚に至ってしまったのかという自分なりの分析や半年後に死ぬと決めた男の私生活、離婚にいたるまでの経緯などをだらだらと書いていくつもりです。メンタルが不調の時はただひたすら後悔を垂れ流すだけの記事を書くかもしれません。

 

とりあえず、今日はこんなところです。

ブログを書くのははじめてで、読みづらいところもあるかと思いますが、半年間よろしくお願いします。