半年後に死ぬ準備0.5
こんばんは。
半年後に死ぬ準備の一つとして、今日は前職の先輩と会ってきました。
先輩の思い付きで、もともとの予定ではなかったメカトロテックジャパン2021へ行くことになりました。ポートメッセなごやで開催されていた工作機械の見本市なのですが、まあそれなりに楽しめました。ただ、テーマがテーマなだけに、一般の来場者はあまりいなく、仕事で来ている人が多かったように思います。
同じポートメッセなごやで開催されるメッセナゴヤのほうがテーマも幅広く、一般客もこちらのほうがいろいろと楽しめるのかな、と思いました。
岐阜に住んでいる方だったので、朝岐阜まで迎えに行き、そのまま高速に乗って現地まで向かいました。途中、高速から名古屋港が見えたりと、なかなかいいドライブになりました。ただ、どうしても元奥さんが見たら喜んだだろうな、とか現地にファニチャードームなどもあるので、来たら楽しめたかもしれないななど考えてしまい、息抜きというか気分転換になるはずだったのに、いつものように「やっぱり死ぬしかないな」と思ってしまいました。
道中では、先輩に僕の今の現状を伝えました。離婚したことはすでに知っているので、それがきっかけで心療内科にかかっていること、薬がないと眠れなくなってしまったこと、公認会計士試験の勉強はもうできていないこと、もう死のうとおもっていること、などさまざまです。
先輩は否定も肯定もせず、ところどころ笑いながら「お疲れさまでした」と言っていました。僕の話をし終わった後、先輩の現状も聞きましたが、やはり結婚している人なので奥さんとの話が多かったです。それを聞いて、うらやましいな、離婚していなければ僕もこうやって楽しく話せたんだろうな、と思いながら聞いていました。
ポートメッセなごやからの帰り道、急に刈谷ハイウェイオアシスに寄りたいというので、遠回りになりますが寄っていきました。実は、同じくらいの時期に元奥さんと来たことのあるところだったので、普通にメンタルがやられました。サービスエリア内の歩き回ったのですが、そのたびに「ああ、ここ来たなあ」、「ここでこんな話をしながら歩いたな」、「ここでこれ買って一緒に食べたな」とか本当にいろいろなことを思い出しました。すごく楽しかったな、と。たった1年でここまで憎まれる存在になるとは当時は想像すらしてなかったですね。
その後、岐阜に戻りうなぎをごちそうしてもらい、来月またどこかへドライブに行こうという話になりました。特に行先は決めてないですけどね。まあ、次もあるのでその時に今までのお礼を言おうと思います。
今日思ったのは、前までは誰かと話をしていたりすれば奥さんのことを考えることもなく、メンタル的に安定していたのですが、今は常に考えてしまいます。
そして、彼女と関係のないところへ行けば思い出すこともないし、気分転換にもなると思っていたのに、全くそんなこともなく「一緒にいってたら楽しかっただろうな」という何とも言えない感情になるだけでした。何か逃げ場がないって感じですね。
友達からはそんなときはクリニックへ駆け込めと言われますが、これ病院いってどうにかなるとは思えないんですよね。医者に気持ち話したところで治るわけじゃないですし。とにかく人と話をするときはできる限りいつも通りにいることを心がけようとしています。あまり死ぬつもりでいるという気持ちを言い続けても嫌われてしまいますし。なので、ブログでひたすら吐き出し続けています。
本当なら前向いて新たな人生を楽しむ、新たな異性との出会いを楽しむ、ということができればこんなに苦しむことはないんでしょう。今の僕は、ひたすら過去を見て、後悔し続けているだけですからね。昨日の先輩の言葉を借りれば、「コントロールできないことを考えても仕方がない」ですかね。過去のことなんてもうどうすることもできないです。でも、無理なんですよね。彼女はいつの間にか僕の生きる意味みたいなものになっていました。去年からほとんど毎日を彼女と過ごしてきたわけですから。
それにしても、転職してからすでに4年もたっているのにいまだに前の職場の先輩とこうやってどこかに遊びに行くというのもすごいなと思いました。今の職場の人たちとのほうが長い時間を過ごしているのに、プライベートで遊びに行ったりしたことはほとんどありませんからね。ありがたいことです。
それでも、「死にたい」という気持ちが全く動かないのは仕方がないですね。もう変えられないことへの後悔で死にたいと思っているので、どうすることもできないです。不治の病にかかったようなもんだと思って、自分で死ぬことは受け入れています。
ちょうど昨日が誕生日で29歳になったのですが、昔から30歳くらいまで生きればいいかなと漠然と考えていたので、まあそういう人生だったんだなと思い、残りの半年、正確に言えばあと5か月ですかね、を過ごしていきたいと思います。
先輩とは来月も会うことになったので、半年後死ぬまでにやることは0.5くらい済んだという感じでしょうか。それにしてもいくつやることがあるんでしょうか。身の回りの整理を含めると結構ありそうですね。ちゃんとリストアップしておく必要がありそうです。
本当は昨日の夜から書いていましたが、朝になってました。
読んでくれてありがとうございます。
近いうちに死ぬとしたら何する?
おはようございます。
もう10月も下旬ですね。ちょうど去年の今頃は幸せの最高期にありました。
ここから、いろいろ旅行に行ったり、クリスマスだったり、婚約したり様々なイベントごとがありました。まあ、全損事故もあったわけですが。去年の今日は京都に旅行に行ってましたね。そういう思い出もどこかの記事で少しずつ振り返っていこうかなと思います。
去年は本当に楽しい1年であっという間に過ぎていきました。それに引き換え、今年はすべてを一瞬のうちになくしてしまいました。最近はそんなことばかりを考えて、ずっと後悔をし、死にたいと考えています。昨日も仕事中の大半を「あのときああしてれば」、「もう後悔しても遅い死のう」、「早く死にたい」、「どこで死のうか」、「どうやって死のうか」などずっと繰り返し考えてました。少なくとも3時間は考えていたように思います。スマホの検索履歴もそういった類のことばかりになっています。考えたくなくても自然とこういう考えを繰り返してしまうあたり、本当に自分は死ぬんだろうなと覚悟してしまいましたね。もう再起はできないだろうな、と。毎日これだけ死ぬことばかり考えていたら疲れてもしまいますし。
その中で、「どうせ半年以内に死ぬのなら何かしてからにしよう」かとふと思いました。そして考えたのですが、大して面白いことは浮かばなかったです。そうすると、他の人はどうなのだろう?と考えたくなります。
例えば、皆さんが何か病気にかかって、僕と同じように悩んででもいいですが、
「半年以内に死にます。もう助けることはできません。」
とお医者さんから宣言されたらどうしますか?動揺、ショック、なぜ自分がという怒り、悲しみなど様々な感情を乗り越えた後を想像してみてください。死ぬことを受け入れた状態です。
残りの半年間何をして過ごしますか?
僕は何人かに聞いてみましたが、めちゃくちゃいい女の人を抱く、高い風俗店に毎日のほように通う、貯金を残す必要がないから全財産をつかってうまい酒を飲み、うまい飯を食って毎日を過ごす、などを言っていました。また、どうせ死ぬなら借金しようが関係ないので、金融機関で借りられるだけのお金を借りて遊びつくしたいという意見も出ました。(その場合は、遺書に借金しかないので相続放棄してください。と書かなきゃですね。)
みなさんは何を想像したのでしょうか。参考にしたいのでコメントでも、TwitterのDMでもリプライでもいいので教えてもらえると嬉しいですね。
ただ、それだけのことをして最後の1週間、最後の1日はどうなんだろう?空しくなったりしないんだろうか?と考えました。それに対しては、最後は何するか決めて過ごすと思うと友人は言っていました。僕は最後の一週間は普通の日常を過ごすと思います。今まで通りに仕事へ行き、職場の同僚と普通に会話をし、家に帰ってYouTubeでも見ながら寝て、また仕事に行く・・・の繰り返しです。最後は特別なことはせず、日ごろのルーティーンの中で死にたいと思いますね。最後は日常を過ごした人と話をして、感謝をしていなくなりたいです。
僕は半年間で何をするのかですが、本当にしょうもないことしか思いつかなかったです。友人に比べたら何も現実味のないことばかりです。
・思い出の場所を巡る
これは欠かせません。最後は後悔ではなく、幸せな思い出を感じながらがいいです。「幸せだった。いい人生だったなあ。」と最後くらいは思いたいです。今まで生きてきてよかったと。
これにはじっくり時間をかけたいです。
・県外にいる友人に会いに行く
明日実際に前職の先輩と会う約束をしていて、実行しつつあることです。死ぬ前に直接顔を見て話し、ありがとうを伝えたいですね。ただ、そんな思い空気は嫌なので、いつも通り居酒屋とかでですかね。「死にたい。」「死のうと思っている」という本音を出したのは、数少ない友人だけですからね。職場の女性の先輩には「毎日死ぬことばかり考えてしまってつらいです」と1度だけ話をしたことはありますが。
なかなか「死のうと思っている」と言った人と接し続けるのも苦労があったと思います。相当なストレスがかかっていたのじゃないかなと。感謝をしなければいけないですね。
・公認会計士試験のテキストを切り刻んで捨てる
もう必要ないですからね。ここ数年はずっとこの試験に良くも悪くも囚われていたな、と思います。もしかしたら人生で一番打ち込んだことになってしまうんじゃないかと思います。仕事以外の時間、出勤前も帰宅後も休日もほぼ休みなく勉強し続けていましたからね。結局途中であきらめて死ぬ選択をするわけですから、何も得られなかったということになりますが、何かに夢中になって取り組めた というのは素晴らしいことだと思います。勉強を始めたころを思い出しますね。学生時代にとった簿記2級の知識を思い出しながら現金預金の講義を聞いた瞬間はものすごくワクワクしていた記憶があります。難しい論点になっても知らいない知識ですから、面白かったです。この試験ですべてを失ったわけですが、まあそれも自分で選んだことですからね。後悔はありますが、仕方がないです。これを打ちながら「せっかくの20代を勉強ばかりして過ごしてほしくない。もっと旅行に行ったり、楽しんで過ごしてほしい。」と元奥さんがまだ彼女だったころに言っていたことを思い出しました。彼女の20代でもあったわけですからね。もっとたくさん旅行に行って、二人の思い出をつくって楽しい20代にしたかったですね。
・お世話になった現職場の先輩とごはんに行く
ちゃんと顔をみてお礼を言いたい人は4人います。
1人目は他部署に異動した先輩で、電話をかけてくることがよくあるんですが、僕を指名して仕事をお願いしてくる人がいます。特に何か聞いてくるわけではないですが、毎回「今日も暗そうだねえ!」や「今日は元気そうだねえ!」とだけ声をかけて簡単に済む仕事をお願いしてきます。この先輩は、もともとすごく明るい人なので、電話で話しかけられるだけで元気になります。この人にはちゃんとお礼を言いたいです。
2人目は僕が初めて配属された時の上司です。僕とは2年一緒に仕事をしたのですが、とても面倒見がよく、よくしてもらいました。結婚する報告をしたときも喜んでくれましたし、もうすぐ離婚しますという報告をしにいったときも絶対に僕の味方でいてくれました。「夫婦の話なのに、むこうの親がこんなに早く出てきたらそうなっちゃう」「お前は人に自分の気持ちを伝えるのが苦手だからつらかっただろう」など声をかけてくれました。この人にも死ぬ前にはちゃんとお礼を言いたいですね。
3人目は、途中ででてきた出てきた女性の先輩です。この人は、結婚中からの悩みをずっと聞いてくれていました。アドバイスをしてくれたり。相手の父親から電話で「離婚するように」といわれた直後に話を聞いてくれたのもこの人でした。仕事でもすごくお世話になった人なのでお礼はしたいです。
最後ははOJTだった人です。この人も何かのついでに必ず僕のいる部署にきて、声をかけてきてくれます。どこかの記事で書いた「死んじゃいかんよ」といって帰った人です。離婚直後は何度も足を運んでくれ、話を数時間聞いてくれたことがありました。「少人数ならいいから、君の好きな人たちを呼んで飲みに行こう」と言ってくれているので最後はこの言葉に甘えて4人の人を呼んでごはんに行きたいですね。
・好きだった漫画を全巻読み直したい
スラムダンクとヒカルの碁が好きなので、全巻読み直したいですね。
ワンピースとコナンの結末を知らずに死ぬのは惜しいですが、仕方がありません。
・過去に戻りたい
急に現実味がなくなりましたが、過去に戻ってやり直したいです。すべてやり直したいです。今日から半年後に死ぬのは確定しているけど、何でもできるのであれば過去に戻ってやり直しをしたいですね。それで半年後に死ぬのなら本望です。彼女を笑顔にして死にたいです。
・元奥さんと笑って話したい
絶対に欠かせないことに思い出の場所巡りと書きましたが、一番強く望むのはこれですね。そして、もう叶うことはないだろうなという望みでもあります。
最後は、マスクしていない彼女の笑った顔と声をもう一度でいいから聞きたいです。彼女が笑っているときの顔や声がすごく好きだったので。それ以上は何も望まないですね。まあ、離婚してしまった今どうあがいても叶えることはできない望みなのでただの願望で終わってしまいますね。マスクしていてもどこかでちらっと姿を見ることができればラッキーくらいですかね。どんなことをされても、結婚までした人ですから僕は忘れることはできないですし、好きです。「どんなことをされたか思い出して」、「忘れろ」、「大した人じゃなかったでしょ」、「新しい彼女を作って過去の人にしよう」など声をかけてくれる人もいますが、これらのことを言われても僕の気持ちは変わらないですね。今までの思い出がありますし、振り返っても彼女は僕にたくさんのことをしてくれましたし、勉強ばかりだった僕を幸せにしてくれましたからね。本当に感謝しています。これから彼女がどんな人と再婚するのかわかりませんが、彼女が次こそは幸せになれることを願ってやまないです。できれば自分がそうしてあげたかったですけどね、これは僕にその器量がなかったわけですから受け入れるほかありません。
まあ、この望みは叶いそうもないので、死ぬ直前まで彼女の笑顔の写真だけは残しておいて、声を思い出しながらってするしかないですね。(気持ち悪いですかね・・・)
僕が半年後に死ぬなら上記のことはしておきたいな、と思います。
1日考えてもこれくらいしか出てこなかったです。思いついたらこっそり編集するか、新たに思いつきました!って記事を書くかですね。
みなさんはどんなことが思いついたのかも知りたいですね。
今、今日会う人からラインが来まして、少し遠出することになったので出かける準備をしたいと思います。
今日も読んでくれてありがとうございました。
勇気がもてない。
こんばんは。
今日は1日本を読んで過ごしていました。本を読めるくらいには頭は回復したようです。しかし、メンタル的にどうかと言われれば、悪くなる一方な気がします。
今読んでいるのは、アンソニー・ホロヴィッツの「メインテーマは殺人」というミステリー小説ですが、タイトルの通り殺人事件が起きて探偵が捜査を進めていきます。
内容は非常に面白いです。探偵役の元刑事がいいキャラしています。もし、読んでいない方がいればぜひおすすめしたいですね。すでに続編も購入してあります。
最初の記事で半年後に死ぬという話をしましたが、ミステリー小説を読んでいると、不謹慎ではありますが誰かに殺されてしまうのもいいなと思ってしまいます。誰かにやられたのであれば、「運の悪いかわいそうな人」と周りから思われて、すぐ忘れられるでしょうしね。これが「自分で」となるといろいろ噂されてしまいますからね。まあ、そのころにはもう僕はいないので関係ないですが 笑
それと同じで交通事故なんかもありかな、と思います。自殺志願者だかうつ病患者だかによくある行動で「無謀な運転」みたいなものがあるみたいですが、おそらく僕と同じような考えのもとそうしているのかなと。無謀な運転をして事故を起こすなんて迷惑極まりないので絶対にしたくはないですが。
僕が事故で死ぬなら、相手方の過失9割での事故を希望します。以前お話ししたかと思いますが、去年相手方9割の全損事故を起こしています。走行中、真横からぶつかられ、そのまま時速50キロで鉄のポールに衝突しました。こんな感じの事故がもう一回起きてくれればなあと。去年の事故は、運よく半年間リハビリするだけのケガで済みました。今思ええば、その時死んでしまえば今見たいな苦しみを味わうこともなかったわけですから、「運悪く」生き延びたって感じですかね。
半年後に設定したのは、以前書いた通り元奥さんに新しいパートナーができて幸せそうにしているのを確認してからにしようという理由です。
新しい相手ができるのに半年くらいはかかるだろうという予測のもとですが、どうやらすでにほかの男の人と同棲をしているようです。本人から直接言われたわけではないですが。最初聞いたときは、「早すぎん?」という驚きしかありませんでした。何せ、離婚してまだ2か月ですからね。
でも、そんな話が僕の耳に入るということは少なくとも新しいパートナーはできたことに間違いはないかと思います。同棲までは少し脚色された噂の気もしますが。どちらにせよ、こうなると僕が半年間待つ必要がなくなったわけです。まあ、半年ぐらいまてば「再婚する」という話を聞くことができるかもしれないですね。そこまで自分が苦しみに耐える必要もない気がしますが。
実は、この話を聞いたのは2週間ほど前で、自分の中で「もう年内でもいいな」という考えが浮かんだので、上司との面談で「心療内科に通っている。休職も勧められている。」というジャブを打っておきました。
会計士の予備校代、車の購入、事故、結婚、離婚と立て続けに出費が続き、貯金がほとんどないため、今は実家に戻っているのですが、ほぼ毎日父親から「うっとうしい。出て行ってくれ。」と言われています。別に実家を出てもいいのですが、賃貸アパートでやるわけにもいきませんしね。持ち家でやるのが一番迷惑が掛からないはずなので。このことを考えても年内が現実的なところかもしれないなという感じです。半年もいたら、「早く死ね!」くらい言われちゃいそうですし。
しかし、本当に年内だとすると準備が間に合わない気がします。とりあえず、会っておきたい人には急いで会わなくちゃと思い、仲良くしていた前職の先輩に会う約束をまずしました。僕の誕生日に会いに来てくれるみたいです 笑
それ以上に問題なのが、年内だとちょうど繁忙期にいなくなることになるのと、実行する勇気をあと3か月で持てるのかというところですね。自分で書いておいて、「勇気が持てるって何?」って感じですね。苦しいことから楽になりたいからそういう選択をするのに、勇気が持てないって何って。でも、本当に勇気がまだないんですよね。心が壊れきってないからでしょうかね。そうすると、半年後に「再婚した」というのを聞いてからのほうがいいかもしれないですね。半年後であれば閑散期に入りますし。
その閑散期にまわるべきところをしっかりとまわり、後悔がないように思い出を振り返って、幸せな気持ちとそれを壊した後悔の気持ちをもちながらやるのが一番ですかね。
苦しくて楽になりたいのに、そのための手段をとる勇気が持てない自分に少しいらだちます。
今日はこんな感じです。最近はずっと自分の気持ちをただ吐露し続けてるだけですみません。
海はいいね
こんばんは。
今日、仕事中に急に無理になったので午後休をとり、海に行ってきました。
急に無理になった理由は、前回書いた手紙が理由ですね。明らかに職場の人間から届いた手紙なので、職場にいること自体が落ち着かないんですよね。
それで、誰が書いたんだろうと考えてみても内容からして、誰が書いたかなんて明らかです。でも、筆跡は違うので誰か協力した人がいるなと気づきます。協力するとしたら職場内なら一人しかいませんし、職場外であればなおさら明らかです。
手紙の内容も、ところどころ何の目的で書いたのかわからない部分もありますが、全体的には僕が読めば傷つくようなことが書かれています。匿名できたことや筆跡をわざわざ変えてるところをみても、「ああ、僕にダメージを与えたくてこういう手紙を渡してきたんだな」とわかります。
そういうことを考えていると本当に嫌な気持ちになります。なぜここまでのことをされなきゃいけないのかも理解できないです。よってたかって人格否定をし続け、理不尽な要求をされても、それは我慢しようと思いました。原因を作ったのは僕ですから。でも、今さらこういうことをやるのはさすがにおかしいんじゃないかと思ってしまいます。
すでに、相手からしたら僕はどうでもいい人間なので、何をしてもいいという考えのもとこういうことをしたんだとは思います。手紙を出した本人たちはすっきりしているでしょうが、渡された僕としては、「やり返してやりたい」という気持ちしかわかないです。やり返されても文句はないっていうのならいいんですけどね。
まあ、そんな話はおいておいて、話を戻すと、海では
スーツを着たままベンチに寝転んで空をボーっと見たり、本を読んだり、海を眺めたりしていました。行った場所というのが、元奥さんと一緒にいったところなので、いろいろ思い出し、辛くなったりもしました。それでも定期的に行っちゃうんですよね。
辛くなるとわかっていても行きたくなってしまいます。
4時間くらいはいたと思います。その中でいろいろなことを考えていました。
今読んでいる推理小説のことや元奥さんとのこと、死ぬなら最後はどこどこを回ってからにしよう、などです。
皆さんは、「どうせ死ぬならこれをしたい!」ってことありますか?
僕は、死ぬためのメンタリティをつけるために元奥さんと一緒に行ったところを回り、元奥さんとの写真を見て、自分の心をぶっ壊すことは必ずしようと思っています。正常でいたら死ぬなんてことできないですからね。
まあ、それはそれとして他に何があるかなあなんて考えてみましたが、全然ないんですよね。何か食べたいものがあるわけでもなく、前述したところ以外でどこか行ってみたいところがあるわけでもないです。だいたい、今から死のうとする人間が「ここ行って楽しみたい!」なんて思うわけないですよね。そう思えるなら死ぬべきではないですよね。
かろうじて思いついたのは結婚式やパートナーとの旅行、子育てとかですかね。結婚式はやる前に離婚しちゃいましたし、結婚後すぐに家の購入で揉めて旅行どころではなかったですし、子供も作る作らない以前のスピード離婚ですしね。
まあ、すでに離婚してしまった今、結婚式やパートナーとの旅行、子育てなんてのは叶わぬ夢です。再婚して叶えればいいじゃないか、という人もいるかもしれませんが無理だと思います。前回、結婚相談所うんぬんの話をしましたが、考えれば考えるほど自分には再婚は無理だろうと思ってしまいます。
不倫でスピード離婚なら次はしないようにしましょうね、でいいですけど僕の場合は、短期間で人格を否定・拒絶されての離婚ですからね。短期間で判断できてしまうほどの欠陥なので、誰が見ても「この人とは結婚できないな」と思うはずです。どう考えても次はないでしょうね。
そんなことを考えながらボーっとしていたら日も落ちてきたので、車に乗り込んで家に帰ってきました。この文を書いて思ったのは、回るべきところを回った後は、自分の車の中で最後を迎えるのがいいなあということです。気に入っている車ですし、車の中が一番落ち着くので。
今日は以上です。ありがとうございました。
自分のこの先について
こんにちは。
先日、どういう目的なのかわかりませんが、誰かからの手紙が僕のデスクに置かれていました。ある部分を読めば嫌がらせとも解釈できることが書かれていますし、またある部分を読めば何か応援されているようにも解釈できる内容です。差出人はわかりませんが、手紙の「頑張ってください、応援しています」という部分だけを素直に受け取れば、何に対する応援なのか、誰からなのかは何となくわかります。
まあ、差出人不明ですし、一文一文を切り取れば意味は分かりますが、全体を見ると意図がいまいちつかめないのでとりあえずは静観しておこうと思います。いやがらせ目的ならば、きっとまた何かしらしてくるでしょうし。これで終わりならそういう目的ではなかったということです。
それとは別に、最近はいろいろと考えることがありました。
以前、できることなら今の苦しみ以上の幸せを見つけて生きたいといった内容のことを書いたと思います。今の苦しみの原因というのは、離婚してしまったこと、そのことに対する後悔などです。これを乗り越えようとすれば、新たにパートナーを見つけて再婚をし、次こそは幸せな結婚生活を送ること以外にないように思えます。
その場合会計士試験はどうするのか、婚活をしながら並行するのか。会計士は諦めて婚活に専念するのか。婚活に専念するなら、最初から試験勉強を止めたら今頃は元奥さんとうまくやれてたんじゃないか、そもそも現状勉強を継続するだけのメンタルがなく、どこにモチベーションを見出せばよいかわからない、などいろいろです。
少し信頼できるかもという人にも上記の内容を相談してみましたが、試験勉強をメインにしつつ、ゆるく婚活をやってもいいのではないか。もし、受からなくても今の職業であれば問題なく再婚はできるのではないか、とのことでした。
今日、心療内科で心理士とのカウンセリングもあったので、上記の内容について同じように相談してみました。回答は、試験に集中して合格をすれば後悔もなくなるんじゃないか、ただ集中するためにある程度心身ともに健康な状態に戻さないと、とのことです。
僕が考えるべきは、自分の年齢ですね。仮に会計士試験に再度集中し、合格したとして最短でも31歳の年になると思います。すべてを捨てて集中しても、働きながらなので何とかいけるかもしれないというレベルです。もちろん不合格になる可能性は大いにあります。すると、無駄に歳だけ食ったバツイチになってしまいます。そうなれば、再婚は絶望的でしょう。アドバイス通り結婚相談所に登録をし、勉強の息抜きにちょこちょこお見合いを入れてみるとかがよいのか、とも思います。
当初の通り、スパッと人生を終えるというのも十分よい選択だと思います。
それが一番わかりやすく、手っ取り早く楽になれる方法なので。何も思い悩むことなく、淡々と準備をすれば済む話ですしね。
まとめると、僕が取りうる手段としては、下の4つでしょうか。
・苦しみが浅いうちに人生を終えてしまう
・会計士試験に再度集中する。(今はとてもじゃないができそうにない)
・試験勉強をしつつ、息抜きに婚活をゆるくやっていく
・早期の再婚を目指して婚活をする(まだ気持ちが吹っ切れていないのでどうだろうか)
下3つはこの先に幸せが待っているという希望をもっての行動ですが、今のところはしっくりとはこないですね。幸せになれるならその方法を取りたいんですけどね。
今回はこんな感じです。
自分の気持ちを文章にすると多少は気が楽になるのでよいですね。
もしかしたら、夜にこの記事を編集するか、また違うのを上げるかもしれません。
今日は職場の健康診断
こんばんは。
今日は職場の健康診断でした。寝不足でボーっとする中、身長やら体重やら視力を測ってきました。
受付に行くと、人事のお姉さんから尿検査用の紙コップを渡され、トイレに行くよう促されます。でも、そのトイレなんですが、コロナ対策なのか何なのかわからないんですけど、扉が開けっ放しなんですよね。
お姉さんも「扉が開いてて困る・・・///]と照れてました。よかったです。
尿の入った紙コップをおっさんに渡すと、何かを測定し、バケツに尿を放り投げていきます。しかし、すごいですね。跳ね返りの尿が手に付いたりすることもあるでしょうに。尿検査が終わると、身長と体重、視力などを測るよう促されます。
身長は、前年と同じでしたが体重は3㎏も落ちてました。ストレスですかね。視力は0.6から1.2に上がってました。ストレスでしょうか。
その後、心電図の列に並ぶよう言われますが、前を見るとまだ女性陣が心電図の列にいるではありませんか。ということは、あの尿のおっさん、女性の尿も嗜んでいたことになります。まあ、尿のおっさんとは違い、僕にはそんな性癖はないので何とも思いはしませんでしたけど。
心電図ですが、測定時僕は毎回笑ってしまいます。吸盤みたいなものを胸やわき腹につけて検査するのですが、つけるときと外すときに毎回体をよじりながら「ふふっ」としてしまいます。検査員のおばさんは、そんな僕には目もくれず、業務に集中しています。さすがプロです。
次は、診察だったのですが驚くほどやる気のない医師でした。そこで待てと言われたので待っていましたが、待てど暮らせど呼ばれません。あれれ?と思いつつ、中を恐る恐る覗いてみたら、足組んでボーっとしてました。「いや、何やってんの?」と思いながら、勇気を出して医師の前に立ちます。すると、目が合い、「どうぞ」と言われ、診察が始まりました。大きくため息をついて聴診器をあてる医師。終わった後、片手で問診票に何やら記入していきます。嫌われてるのかな?と思っちゃうくらいやる気もないですし、態度も悪かったです。
なんかあったんですかね?
続いては問題の採血です。腕を絞められるのがたまらなく嫌なんですよね。なんか気持ち悪くなってきます。でも、今日の採血はいつもとは一味違いました。
いつも通りおばさんに促され、腕を出し、ゴムチューブみたいなので締め上げられます。そして、プスッと刺されるわけですが、何やらおばさんの様子がおかしいです。
刺したまま、血を抜こうともせず「あれ?あれ?」とずっと言っています。そして、「ごめんなさいね。」といい、なにやらもたついています。長時間ゴムチューブで腕締め上げられてつらいわ、針は刺しっぱなしだわでだんだんイライラしてくる僕。
それも気にせず、ずっと「あれ?」と言い続けるおばさん。
そして、おばさんから「腕変えます」と言われます。え?今さら?うそでしょ?と思いながら、もう片方の腕を差し出す僕。おばさんは再度ゴムチューブで締め上げます。
そして、「次は針の太い注射を刺します」と注射を刺しながら言うおばさん。
「そういうのはもうちょっと前の段階で言うものじゃ・・・」という暇すら与えてくれませんでした。採血をしながら話しかけてくるおばさん。しかも、世間話。実にクレイジーです。
無駄に長い時間腕を締め上げられたり、針を刺されていたからかフラフラになりつつ事務室に戻っていきました。ただでさえ夜眠れずフラフラなところに追い打ちをかけられたようなものなので、午前中はデスクでボーっとしてました。
ちなみに、午後もほとんど仕事にならなかったです。だんだんと寝不足のダメージが身体に蓄積されているようで、頭痛がどんどんひどくなっていますし、物を考えることもできなくなっています。やっぱり睡眠は大切なんです。おとなしく出された薬を飲んで寝ようと思います。
今日はこんな感じです。最後までありがとうございました。
性格が変わってしまったような気がする
こんばんは。今日一日ずっと頭痛に悩まされてました。今もですが。
最近ですが、何か自分の性格というか人が変わってしまったような気がします。
毎日、後悔をしたり死にたいと思ったり、Twitterやブログ上でネガティブな発言をしたり、過去の自分ではあまりなかったように思います。また、職場の人から指摘をされましたが、どうやら日中の僕は落ち着きが全くないらしいです。「最近どこかそわそわしているけど、大丈夫?」と言われてしまいました。
一緒に仕事をしている後輩の子にも「自分の体調を最優先にしてください」と言われてしまっています。まあ、ペアで仕事をする以上この子にはある程度は話しておく必要があり、病院に行っていることなどは知っているため、そのように言われても仕方がないかと思います。それでもショックでした。本来であれば、先輩である僕が気を遣うべきところなのに、後輩に気を遣わせてしまっています。
また、明るい話題になると、以前はその話に一緒に入って笑っていましたが、今はその空間にいることすら耐えられなくなり、離れてしまいます。明るい話題を聞いていると、自分と元奥さんの思い出などを思い起こしてしまい、「死にたい」と思ってしまうのです。なので、僕は明るくない話題でないと人と話せなくなってしまってます。
昼休憩も、以前は食堂を使用したりしていましたが、職場の人間に自分を見られるのが嫌で、食堂を使わざるを得ないような日は必ず外の飲食店へ行くようになりました。事務室で食べるときは、誰とも会話をしたくないので、おにぎり一つ食べたらあとの時間は机に突っ伏して寝たふりをしています。
なんだか、友達のいなかった高校時代を思い出します。
今日、面倒を見てくれていた先輩が仕事のついでに僕のいる部署に来ていたのですが、帰り際に僕のところにフラっときて、「死んじゃいかんよ」とだけ言って帰ってきました。職場で「死にたい」など一度も言ったことがないのに、そんなことを言われびっくりしてしまいました。何も言わなくても雰囲気からネガティブなオーラが出てしまっていたのでしょうか。
仕事もほとんどやる気がせず、また文字も頭に入らなくなってるので以前の倍時間をかけて同じ仕事をしています。しかも、少し複雑な業務になると考えられなくなってきてます。今の部署での経験年数は長いので、いろいろ意見を求められたり、後輩から判断を求められたりするのですが、何を言っているのか理解するのに時間がかかってしまいます。
今は、閑散期でたまっている仕事もないので何とかなってますが、繁忙期に入ったらどうなるのか考えるだけでも嫌になります。
ちなみに今僕が一番落ち着くのは車の中です。なぜか車の中にいると落ち着きます。気持ちが抑えられなくなると、とりあえず車に乗ってドライブします。以前の記事でも書いたように、ドライブをしていてもすぐネガティブな思考が押し寄せますが、それでも自宅にいたりする時よりかは死にたい衝動は抑えられます。比べたらマシ、程度ですが。離婚してからガソリン代がえらいことになってます。
こう見てると今の自分はネガティブの塊みたいな存在になってると思います。普通の人からすれば、そんな人にはかかわりたくないと思うでしょう。僕でも嫌です。職場的にも、いてもいなくても変わらないような人材になってると思います。すぐ休みますし。何とか現状業務は捌けてますが、無能もいいとこだと思います。
ポジティブなことも全く考えられなくなってますね。「生きていれば楽しいことはある」というのはわかっています。大なり小なりそう思う出来事もあるでしょう。でも、今がつらいんですね。今のことで精いっぱいでその先のことなんて考えられないです。そして、そういう出来事があったとしても、過去がなくなるわけではないのでふと離婚したことや元奥さんのことを思い出し、また同じような気持ちがわくのはなんとなく想像できます。
まあ、ここまでくると周りからしてもどうでもいい存在になりつつあると思うので、楽ではありますね。仮にいなくなったとして「え?なんで?」ではなく、「へえ」程度に思ってもらえるでしょうから気は楽ですね。
この間遺書というものを書いてみても思いましたが、仮に自分がいなくなったとして、身近にそういうことが起きたというショックはその瞬間はあるかもしれませんが、人生を変えてしまうような人はいないということを確認することができました。
しかし、自分にはそんな相手もいないのかと悲しくなることはなかったです。そりゃあ子なしの独身なんだから当然か、という感じです。むしろ安心できました。
今日はこんな感じです。
なんかタイトルとあまり関係ないことを書いてしまいました。
ネガティブの塊のような人間、しかも今までできていたようなこともできない無能人間になってしまったということを言いたかったです。
次回もめちゃくちゃ暇だったら読んでください。それでは。