まさか自分がバツイチになるなんて。

欠陥人間すぎて奥さんに愛想つかされ離婚した。

僕という人間の自己紹介①

こんばんは。今日から2回に分けて僕について自己紹介をしていこうと思います。

せっかくブログを読んでくれるなら僕という人間について少しでも知ってほしいからです。

今日は幼少期から中学卒業までです。行きます。

 

幼稚園入学~小学校入学

 

幼稚園児のころ、僕はいつもいじめられていました。毎日幼稚園に行くのを嫌がり泣いていたそうです。それを見かねて両親は僕に空手を覚えさせました。ちなみにいじめっ子も同じ道場に通っていました。当然、そこでもいじめられていました。なぜ、両親はいじめられっ子のいる道場に入れたのか今でも謎です。

しかし、ある時転機が訪れました。いじめられっ子と組み手をする機会がやってきたのです。スカッとジャパンであれば、ここでいじめっ子をぼこぼこにして盛り上がる場面です。

まあ、ぼこぼこにしてやりました。このブログの主人公は僕なので当然です。ぼこぼこにされた話なんてかっこ悪いので載せるわけないです。それ以来、いじめられることはなくなりました。みなさんスカッとしましたね。

 

小学校入学~卒業

 

小学校へ入学しても空手は続けていました。小学校2年生くらいの時に、空手の県大会へ出場し、準優勝しています。この話を、僕は後生大切に抱えていて、初対面の人にはだいたい話しています。元奥さんにも当然話しています。何ならお義母さんにも写真付きで話をしました。もちろん「小学校の時に」なんて余計な部分は省いています。生きていくうえで、時には自らを誇張して強く、大きく見せることは必要なことですからね。まあ、写真付きだったので、普通にばれてたと思いますけど。

 

空手ではそれなりの成績を納めていましたが、肝心の学校生活ではまたいじめられていました。理由は太っていたからです。ことあるごとに「デブ」と呼ばれていました。

プールの時間は苦痛でしたね。僕の三段腹がここぞとばかりに主張してくるので。

実はうんこ漏らしたこともあるんですが、それはばれてないのでいじめの原因ではありません。バレてなくてよかったです。まあ、みんな一度や二度うんこ漏らしたことくらいあると思うのでバレても大した問題にはならなかったかもしれません。

 

しかし、小学校でも転機が2回訪れます。

まず一つ目の転機は小学校4年生のころにスイミングスクールへ通い始めたことです。スイミングスクールでクロール、平泳ぎ、と順調にレベルアップしていき、いよいよ背泳ぎです。この時のコーチは20代くらいの女性でした。

慣れないうちは、進行方向側にコーチが常に立っていて声をかけてくれるのですが、その時になんと!手がおっぱいに!!触れたのです!!!

万歳!!!!

色もピンク色に変えておきました。性への目覚めです。その日から僕はインターネットでエロ画像を漁りまくるエロガキへと進化したのです。

(スイミングスクールに通い始めたことで学校で測る25mタイムは卒業するまでの3年間クラスで常に1位でした。これも数少ない人生の自慢ポイントです。)

 

2つ目の転機は、小学校6年生の時にバスケ部へ入部したことです。

そのおかげで、ひと夏で劇的に痩せることができたのです。いじめからの解放です。

ちなみに、このころから「モテ」を意識し、美容院へ通い始めました。痩せたことで「モテ」への探求心が湧いてきたのだと思います。

 

指導方法も今じゃありえないようなスパルタ指導でした。シュート外したら蹴られますし、胸倉つかまれたり、バスケットボールが飛んでくるなんて普通です。練習も夏休みは7:00~13:00まで毎日やっていました。

僕はさぼり癖があるので、「成長痛」を理由に何度もさぼったことがあります。オスグッド病とか言ったりして無駄に大げさにしてみたりとか。もちろん、激詰めされましたね。人生はじめての「詰め」です。大人に嘘は通用しないと学びました。大人への階段を少し昇りました。

 

まあ、そのおかげか、夏休み始まるまではバッシュもないくらいの初心者しかいなかったのに、夏休みが終わるころには地元のミニバスと試合をしても普通に勝てるくらいになっていました。スラムダンクみたいですね。僕はスラムダンクだと、宮城リョータ三井寿が好きです。流川は嫌いです。

 

学業はどうかというと、まったくできませんでした。算数の割合計算すらできずに卒業したと思います。

恋愛は小学校2年生の時から卒業するまでずっと同じ子のことが好きでした。その子は卒業するときにバスケ部のキャプテンと付き合いました。

 

中学入学~卒業

中学入学時から僕は絶好調でした。なんとクラスの中心的な存在になれたのです。

僕はこの勢いに任せて、小学校6年生から探求し続けた「モテ」の成果を存分に発揮しようと思いました。その成果ですが、3戦全敗でした。中学1年、2年、3年それぞれ1回ずつです。

ちなみに3人とも僕の友達と付き合いました。小学校の時から続く呪いです。

この頃から非モテ精神が染みついてきたような気がします。

 

学業はというと、部活ばかりしていたため中学3年の夏まで方程式すら解けないくらいの落ちこぼれでした。部活を理由に勉強を全くしなかったのです。周りも部活で忙しいからと特に成績を責めることもありませんでした。

そこから一念発起して塾へ通い始め、地域で1番の進学校を受験できるくらいのレベルにはなりました。結果はもちろん不合格です。いままでさぼってたのに半年でそんなに上手くいくわけありません。当然の結果です。(ただ、少しだけ当時の自分を擁護すると、第一志望の高校当初の模試の合格率は3%だったのを最終的には80%くらいまでもっていってました。)

 

中学は恋愛も受験もすべて失敗した苦い思いでしかないです。

振り返ると、ここまでの僕は教えられたことに対してはある程度のパフォーマンスを発揮することはできていたみたいです。「言われたことはやれるけど・・・」ってタイプです。言われなければ何もしません。

ダイエットだって、部活になんとなく入ったらたまたま厳しい先生で痩せざるを得なかっただけですし、勉強なんて中学3年の夏までろくにしようとしてきませんでした。

塾に入って課題や定期的な模試などで勉強を強制されたからこそ、それなりの学力までもっていくことができたのだと思います。

 

面倒なことは基本的にはサボりたい典型的なダメ人間で、誰かに言われたり強制されたりしなければすることができないタイプです。自分から主体的に動けないタイプです。

 

この性格が結局最後まで治らず、離婚の一要因を担った気もします。

 

高校受験で、「地域で一番の高校を目指していた」という何の役にも立たない無駄なプライドが邪魔をして再び暗い3年間を送ることになった高校生活から社会人になり、公認会計士試験を目指すまでの話を次回はしていきます。

 

ここまでくだらない自分語りにつきあっていただきありがとうございました。次回も時間があればぜひ見てみてください。